2025年05月25日
本文:エペソ人への手紙4章11〜12節
「教会はキリストのからだである」。この言葉を、私たちはどれほど深く受け止めているでしょうか。建物でも組織でもない、ひとつの“生きたからだ”としての教会。その健全な成長のために、神はあらかじめ構造を設計され、私たち一人ひとりに異なる役割と賜物を与えてくださいました。すべては、キリストのからだを建て上げるためです。
エペソ人への手紙4章にはこうあります。「キリストはある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師または教師としてお立てになった。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためである」(エペソ4:11–12)。この言葉が教えてくれるのは、教会の健全さは偶然に生まれるものではないということ。神の知恵と愛によって、教会という有機体は土台から整えられていくのです。
詩篇68篇に描かれる勝利の王の姿を、パウロはエペソ書で引用します。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた」。戦いに勝利した王が、戦利品を民に分け与えるように、イエス・キリストは罪と死に打ち勝ち、霊的な賜物を私たちに与えてくださいました。賜物とは、主の勝利の証しであり、私たちへの恵みの贈り物です。
だからこそ、教会におけるすべての奉仕と役割には、主の十字架と復活の力が宿っています。私たちが用いられるたびに、それは主の勝利がこの地に現れているというしるしなのです。
オリベットアッセンブリーが教会の基本構成として教える4つの柱の一つめが「使徒」職です。「使徒」とは、ギリシャ語で「アポストロス」――すなわち「遣わされた者」を意味します。ローマ帝国の時代、この語は軍艦の艦隊や総司令官を指しましたが、復活のイエス・キリストによって召された弟子たちが、最初の使徒たちとなりました。
使徒の働きとは何でしょうか。それは、まだ福音が届いていない場所へと派遣され、そこに教会の土台を築くことです。アンティオキア教会から送り出されたパウロとバルナバは、その最たる例です。現代においても、教会を開拓し、新しいミニストリーを生み出す者たちは、使徒的使命を帯びた存在といえるでしょう。
そして忘れてはならないのは、使徒は単なるリーダーではないということです。使徒は主の権威を帯びた者であり、主の御言葉を代弁する者です。パウロが語ったように、「私が使徒となったのは、人からではなく、キリストとその父なる神によってである」(ガラテヤ1:1)。その召命は、人間的な資格や経歴によるものではなく、神ご自身による選びと恵みに基づいています。
パウロは自らを「月足らずで生まれた者」(Ⅰコリント15:8)と呼びました。イエスの公生涯には間に合わなかったが、それでも復活のキリストに出会い、福音の証人とされました。ここに、人の選び(使徒1章22節)に依らない神の選びの神秘と恵みの深さを見ることができます。
彼がローマ書9章で語った言葉、「たとえ自分がキリストから引き離されてでも、同胞が救われてほしい」は、使徒の魂の深みに触れさせる証しです。使徒とは、魂に対する激しい愛と、福音のためにすべてを捧げる覚悟を持った者なのです。
このように、使徒という柱は、教会の基礎を築く上で最も重要な役割を担っています。しかし、教会を完全に形づくるには、もう三つの柱が必要です。神の御心を代弁する者――預言者。真理を教え、信仰を育てる――教師。見えないところで支え続ける――執事。これらの務めを神は賜物として与えてくださいました。私たちはその一つひとつを尊び合い、受け入れ合いながら、一つのからだとして整えられていきます。
(礼拝では、それぞれの役割についてさらに深く掘り下げましたが、本稿では割愛いたします。)