礼拝説教

苦難さえも喜んでいます


2024年03月24日

本文:ローマ人への手紙5章3節~4節

私たちは苦難を通して忍耐を学びます。忍耐を経て、神様は再び私たちを信仰の舞台に立たせてくださいます。鉄で道具を作るとき、鉄を熱して叩くことを繰り返しながら強靭で純度の高く美しい鉄器が出来上がります。信仰も同様に忍耐を通して強くしなやかで美しい神様の道具へと成長します。人生で経験する苦難は、私たちが回避を祈るべきものではなく、むしろ必要不可欠で有益なものと言えるでしょう。信仰者は苦難の先に神様の栄光が表されることを知っているので、苦難をさえ喜ぶことができます。

人間には、あらゆる面で弱さと罪があります。ですから、神の民として用いられていくには訓練が必要ではありませんか。苦難を通して私のさまざまな弱さ、神様を礼拝することのできない不信仰を悟らせ、悔い改めへと導き、忍耐して神様を全的に信頼する生き方を体得できるのです。

"この時代は何にたとえたらよいでしょうか。広場に座って、ほかの子どもたちにこう呼びかけている子どもたちのようです。
『笛を吹いてあげたのに君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってあげたのに胸をたたいて悲しまなかった。』” マタイの福音書 11章16~17節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

イエス・キリストの生き方に従うときに経験する苦しみは、罪を犯した報いではありません。主(しゅ)イエスの苦しみと悩みを知らなければ、彼の言葉にどうして共感できるでしょうか。主イエスの生涯を自分も生きることを願い、罪に苦しむ魂を主イエスへと導くために経験する困難は、少しも無意味なことではありません。もちろん、自分の罪と弱さによって苦しむこともあるでしょう。愛に溢れる神様は、そのようなときでさえ慰め、力を与えてもう一度立ち上がらせてくださいます。そして、主イエスの栄光に参加するためには、その方が経験された苦難に自分も参加しなければなりません(参照:ペテロの手紙 第一 4章)。それは、終わりの日に主の栄光が現わされたとき、自分も主イエスと共に喜ぶためであり、その栄光を自分も享受するためです。主イエスと共に天上に座らせていただく約束(エペソ人への手紙2章6節)を心に焼き付けて、人生の苦難を、主と共に歩み、忍耐をもって乗り越える皆さんになりますように。

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