礼拝説教

あなたはもはや奴隷ではなく、子です。


2023年12月31日

本文:ガラテヤ人への手紙3章23節~4章7節

イエス・キリストが来られたことによって、奴隷の時代が終わり、子の時代が開かれたことをパウロは宣言します。奴隷と子どもは全く別です。律法の時代は奴隷の時代です。それに対して、恵みの時代は子の時代です。なぜ律法は奴隷の時代なのか。律法は我々を自由にすることが出来ないからです。罪に気づかせ、その重さを思い知らせるという点では役に立ちますが、律法には人を自由にする力がありません。ただ神の愛と恵みによって、罪人であるにもかかわらず我々は自由になることを許していただけます。

信仰とは、神の恵みを受け取る通路です。信仰という言葉は何かを信奉するという次元を超えています。神は、我々が罪深い存在であることをあらかじめ知っておられて、にもかかわらず我々をお呼びになり、罪を赦し、変わることのない愛で愛してくださっています。その無条件の愛が永続しているという事実を受け入れることが信仰です。神の愛をすんなりと受け入れることが信仰です。
パウロは、律法は我々がキリストに出会うまでの養育係であると言いました。律法によって神の愛が示されるのではありません。恵みの中で、福音の中で、キリストの中でのみ、無条件で計り知れない神の愛を知ることが出来るとパウロは述べています。我々にとっての養育係は何でしょうか。ある人には、自分が大切にしている哲学であったり、理念や思想、体系的な知識、あるいは宗教であったりします。しかし、パウロはこれらすべてが我々を神の愛へと導く養育係であって、神の真の愛を悟らせるものではないと説明しています。

どうすれば神を知ることができましょうか。人間の理性と、論理的な観察によって、神が存在することを知ることはできます(ローマ人への手紙1章20節)。人間と宇宙の全ては結果的な存在であり、その初めには原因が存在することは明白です。しかし、理性には限界があります。理性をもって、その原因である神ことです。神がどんな方であるかは知りません。

聖書は、神ご自身の性質が啓示によって知らされたことを記録しました。啓示とは、ベールで隠されている崇高な存在が、ベールを開いて姿を表してくださることです。我々人間が神を知ることはできません。有限の人間と永遠の神との間には無限の隔たりがあり、人間の理性の力でこの隔たりを超えられないことは明白です。(哲学者のカントは<純粋理性批判>を通じて理性の限界を述べました。)

神を知るすべはないのでしょうか。神が人間にご自身を自ら示してくださるときだけ我々は神を知ることができます。その啓示とは、御子がこの地に来られたことです。神の御子を通して、我々は神を完全に知ることを許されたのです。ヨハネは、『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた』と証言しました。この御子を信じる者たちは、その信仰により、御子にあって(3章26節)神の子とされ、子とされたのですから神の約束を受け継ぐようになるのです。


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