礼拝説教

イエス・キリスト、世の光


2023年12月25日

本文:ルカによる福音書2章8節〜14節

福音(Gospel)は、ラテン語のエヴァンジェリウム(evangelium)に由来する言葉です。都市国家間で戦争が起こると、人々は切実に勝利の知らせを待ちました。戦争の勝敗は運命を分ける重要な事柄です。エヴァンジェリウムは、戦勝を意味する喜びと解放の知らせです。イエス・キリストは壮大な戦いにおいて諸悪を殲滅し、勝利されました。その知らせは私たち全人類にとっての福音です。

キリストはどのように勝利されたのでしょうか。キリストは、世の戦う方式ではなく、非常に不慣れな方式で勝利されました。新約聖書『フィリピの信徒への手紙』には次のように書かれています。

日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』フィリピの信徒への手紙 2章5~8節
『[5]互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
[6]キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
[7]かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
[8]へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。』

神の御姿であられた方がご自分を無にし、私たち人間と同じ者になられたということです。神の御子キリストが低くなられたことをギリシャ語で「ケノーシス(kenosis)」といいます。

主(しゅ)イエス・キリストが僕の身分になられたことは「愛」であると使徒ヨハネは言いました。

ヨハネの手紙 一 4章10節
『わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。』

神は、皆さん一人ひとりをよくご存じです。皆さんが罪深い存在であっても、皆さんの行いに影響を受けることなく、神様の愛は先行しているのです。この神様の愛を知るとき、私たちは本当の平和に安住することができます。

クリスマスはイエス・キリストがお生まれになったことを記念する日です。キリストは馬小屋でお生まれになり、馬が食べる牧草を入れる桶に寝かされました。高い位に就かれるべき神の御子が、この地上の最も低い所にお生まれになったことは、神の栄光の現れであったと聖書は語っています(ルカによる福音書2章14節)。自ら低く謙遜となり、無のような存在になることが、天の国では栄光とされるのです。

ヨハネによる福音書13章によると、イスカリオテのユダが主イエスを売るために最後の晩餐の席を立って外に出ていった後、主イエスは『今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった(13章31節)』と言われました。ユダが闇の中に消え、主イエスの十字架の死が決まった瞬間、主イエスは「栄光を受けた」と言われました。

この栄光は、輝かしい盛大な賞賛を語っていません。この栄光は、世に生きる私たちの目にはみすぼらしい姿に見えます。しかし、神の御子が一番低い所に来られた出来事、そして神の御子が十字架の死を決定されたことは栄光だというのです。これは思いがけない知らせです。昔も今も多くの神々が奉られていますが、私たちが告白する神は唯一の方であり、他の神々とは全く違います。そして、その神の御子が栄光を現される方法も、私たち人間が考えるものとは全く違いました。

ヨハネによる福音書14章27節
『わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。』

これは主イエスが十字架で死なれる前に残された言葉の一節です。この世界に真の王が来られました。その王は全人類の争いを治め、人類を絶望の淵から希望へと救い出し、世界に永遠の平和をもたらす方です。

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