2023年12月10日
ガラテヤ人への手紙2章11節~3章2節
人間が罪を犯し、人間が神との関係を拒否したので、神との関係が壊れてしまいました(イザヤ書50章1節)。そんな時、私たちが神のもとに立ち返っていくにはどうすれば良いでしょうか?それは、私たち罪人を受け入れてくださる神の恵みによってのみ可能です。
信仰は恵みがまず先にあってこそ生まれるものです。つまり、イエス様が「あなたの信仰があなたを救ったのだ」と仰ったときの『信仰』は、先行する神の無条件の愛を受け入れることを指します。神の愛は、神が一方的に授けてくださる恵みです。言葉で表現しきれない神の深い愛によって今の私が存在していることが恵みです。プロテスタント教会の基本的原則は、Sola Fide(信仰のみ)、Sola Gratia(恵みのみ)、Sola Scriptura(聖書のみ)です。恵みは神の贈り物です。贈り物は、代価を支払わずに受け取るものです。
ユダヤ人ではないガラテヤ人たちが初めてパウロの『恵みの福音』を聞いたとき、どれほど喜んだことでしょうか。そして、パウロ自身も同様の経験をしたことでしょう。かつてクリスチャンを激しく迫害し、自らを「罪人の頭(かしら)」と評するほどの律法主義者であったにもかかわらず、神は彼の罪を問い詰めずに歩み寄り、愛と恵みによって抱きしめてくださいました。その恵みによって今の自分があるというパウロの証は、多くの人たちに自由を得させました。それなのに、律法から解放された人が、エルサレムからやってきたユダヤ人たちの影響を受けて再び律法に縛られてしまうのです。
人が善行を積むことによって神との関係が修復されるわけではありません。私が神から遠ざかっていったのに、神の前に再び立つことができるのは、神が一方的に授けてくださる恵みによるものです。その恵みによって自分は今の自分になったのです。