2023年10月09日
ローマ人への手紙 5章6~8節
"実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。"
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
「ローマ人への手紙5章6-8節」は、キリストが「不敬虔な者たちのために死んでくださった」ということを説明しています。人類の歴史におけるキリストの出現は、時が満ちて質的な転換が起こるひと時であったことが説明されています。
「私たちがまだ弱かったころ(新共同訳)」という言葉は、人間が自分自身を救い出す解決策をどこにも見出すことができない悲惨な状況を指しています。キリストは罪人のために死なれました。しかし、「キリストの死」は「命」であることをパウロは提示しました。死とは存在(being)が非存在(nonbeing)になることであり、完全に消えてなくなることです。御子イエスの死は私たちのために死なれた死であり、これ以上に美しい死は世に存在しません。これ以上に真実な人生はありません。キリストの死は単なる死ではなく、愛の確証であることをパウロは証言しました。キリストが死者の中からよみがえられたことを通して、神は確かにキリストに従う者たちをもよみがえらせることができることを私たちに示してくださいました。
イエス様は、私たちが神様の愛に倣って生きるときに、真の意味で神様の子になると仰いました。子は親に似ているのです。神様は目に見えない方ですから、天の父である神様に似るということは、私たちの見た目について話しているのではありません。私たちの生き方、私たち霊の性質が神様の愛に似ていくということです。
Cartoon work kindly supplied by Martin Young and purchased at his website - biblecartoons.co.uk