2023年09月25日
ローマ人への手紙9章11節〜13節
"その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行わないうちに、選びによる神のご計画が、行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、「兄が弟に仕える」と彼女に告げられました。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書かれているとおりです。"
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
使徒パウロが本文で議論している予定説の焦点は、神様が宇宙万物の創造主であるだけでなく、私たちの人生の細部にまで介入してくださるということです。神様は、世界と人間を創造した後に放置したりしません。これは驚くべき恩恵です。人間がこの恵みを忘れて、自分の行いを誇ることがあってはいけません。恩恵を忘れる時、感謝の心が消え、人間中心の生き方に再び戻ってしまいます。
神様は、神様を捨てて自分勝手に生きることを願った人間を諦めようとはせず、自ら働いて救うことを計画してくださっています。ですから、あなたが人生の難しい時期を生きているとしても、「神様は私が惨めな人生を生きるように運命づけていたのだ」などと、聖書が教えていない運命論に苦しんではいけません。
「現状維持」(ラテン語で「status quo」)という言葉があります。これは人間が造り出した「運命論」と関連しています。運命論は、支配者集団が非支配者集団に対する優越の維持を狙って好んで主張する論理です。支配者は、非支配者がすべてを宿命だと諦めて支配者の既得権に従うことを願うからです。人間の社会は、「文化」や「風習」という人間が造り出した「運命の鎖」によってがんじがらめにされています。
しかし、聖書は運命論を教えません。旧約聖書のサウル王の生涯を通して明らかにされたのは、彼の失脚は運命でも神の呪いでもなく、彼が神様を信頼せず、身勝手に生きて失政を繰り返したからでした。イサクの長子エサウが長子権を弟ヤコブに持っていかれたのも、自分が一杯の食物と引き替えに長子の権利をヤコブに売ったからでした。(ヘブル人への手紙12章16節) エサウは長子として、信仰の家系の長子権を守る立場に生まれたのです。長子として生まれたことは恵みによって神様にいただいた祝福です。しかし、そのようなエサウの運命を変えてしまったのは彼自身でした。祝福は固定されたものではなく、移されることがあるのです。
Cartoon work kindly supplied by Martin Young and purchased at his website - biblecartoons.co.uk