礼拝説教

毒麦のたとえ


2023年09月17日

マタイの福音書13章24節〜30節、36節〜43節

神様が存在するなら、なぜこの世界から暴力と争いが無くならないのか。この疑問に対して、マタイ13章の『毒麦のたとえ』は、悪は神様に敵対する者の仕業だと教えています。

その敵はどこから来たのでしょうか。神様がこの世界を創造されたのなら、神様は敵も自分で創ったのでしょうか。聖書は、神様が良い存在として創造された被造物が変質して悪魔になったと教えています。神様は悪の創造主ではなく、悪の被害者です。

時が満ちると、神様は全てを裁いて、善と悪を明確に分けます。そして悪は必ず最期を迎えます。裁きは、善と悪が選り分けられることを意味します。

神様に従って生きる人は、裁きに対する希望があるので、難しさにも忍耐して熱心に福音の種を蒔きます。そして、神様の前に正しい思いを保ち、善行と施しに飽きることがありません。

The Steadfast Love of the Lord

The steadfast love of the Lord never ceases His mercies never come to an end They are new every...

悔い改めて神に立ち返りなさい

2024年06月30日

使徒の働き/使徒言行録 3章16-26節 (説教抜粋) ペテロは、イエスの名を信じる信仰がこの足の不自...

初代教会の誕生

2024年06月23日

本文:使徒の働き/使徒言行録 2章42〜47節 (説教要約) ペンテコステの日、ペテロの説教を受け入...

神の定めた計画と予知

2024年06月16日

本文:使徒の働き/使徒言行録 2章23-38節 ペテロの説教は、初期のキリスト教会において非常に重要な...