礼拝説教

かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった


2023年09月03日

列王記第一 17章1節〜16節

預言者エリヤの時代、日照りが激しく、雨も降らず、露も降りず、あらゆる農作物が枯れてしまいました。パレスチナの地域では雨が重要です。乾期には雨が降らなくて、ヘルモン山から降りる露だけが降りるので農業ができます。イスラエルの罪のせいで、神様が罰を与える災いの期間がやってきたのです。災いは裁きです。しかし、人々が悔い改める期間になります。神様が生きておられることが確実になり、悔い改めることになり、日常から離れて、悔い改めの時間が与えられます。

イエス・キリストの十字架と復活は、言い換えれば、死ぬことと、よみがえることです。自分を無にすることで満たされる、と言われたら、皆さんはどう考えますか。世の中の判断は、無にすることは空っぽになるだけの愚かなことです。預言者エリヤが提示した道は、無にして満たされる道です。こんな状況なのに、神様はそんなことを願うのですかと戸惑わないでください。神様が、やもめの女性に願っておられたのは捧げ物ではありません。彼女に最後に残されていたものです。それは、食べて死のうと思った一握りの粉ではなくて、彼女の信仰です。彼女に最後に残されていたものは、信仰でした。彼女は絶望の中で、預言者の言葉に希望をいだき、信じて従いました。信仰は、願うことが難しいときに願い、無にしがたいときに、無にする力です。信仰を通して、人は初めて自分を神様に明け渡すようになります。このような信仰の心が集まるとき、神の御国は成されるでしょう。

The Steadfast Love of the Lord

The steadfast love of the Lord never ceases His mercies never come to an end They are new every...

毒麦のたとえ

2023年09月18日

マタイの福音書13章24節〜30節、36節〜43節 神様が存在するなら、なぜこの世界から暴力と争いが無く...

ぶどう園と農夫のたとえ

2023年09月10日

マタイの福音書21章33-46節 このたとえは(しゅ)イエス・キリストご自身の置かれた状況を説明してい...

かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった

2023年09月03日

列王記第一 17章1節〜16節 預言者エリヤの時代、日照りが激しく、雨も降らず、露も降りず、あらゆる...