礼拝説教

神は、ささげ物を望まれません


2023年08月06日

詩篇51篇16-17節

人々は常に自身が持つ何かを誇って生きていますが、それをもって主(しゅ)なる神の慈悲を買うことはできません。王の地位で捧げる生け贄には重要な意味があると考えがちですが、神にとってはそうではありません。主が求めているのは、ただ、砕かれた心と砕かれた霊です。イスラエルの人々は生け贄を捧げますが、それが主に喜びをもたらすわけではありません。詩篇の記者は、自分の影響力を自慢するのではなく、心から主に近づこうとしています。彼は完全に神の恵みにのみ依存しています。そのような礼拝は神に受け入れられるでしょう。わたしたちは、砕けた心をささげましょう。自分を完全に主に委ね、主を愛し、傲慢さを焼き尽くすとき、主はその生け贄を軽んじません。

The Steadfast Love of the Lord

The steadfast love of the Lord never ceases His mercies never come to an end They are new every...

苦難さえも喜んでいます

2024年03月24日

本文:ローマ人への手紙5章3節~4節 私たちは苦難を通して忍耐を学びます。忍耐を経て、神様は再び私...

神を信じ、わたしを信じなさい

2024年03月17日

本文:ヨハネの福音書14章1節〜7節 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、また私を信...

わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように

2024年02月18日

本文:マルコの福音書 14章35-36節 ゲツセマネはオリーブ山という小高い丘にありました。主(しゅ)...