2023年07月23日
ルカの福音書16章1~13節
主イエスのたとえ話です。金持ちの資産を浪費していた管理人は、不正を告発されると、急いで金持ちの債務者を次々と家に呼んで金持ちの許可なく債務を減額しました。金持ちはこの管理人の行動をほめました。
この不正な管理人の賢さは、自分が管理職から外されると知って、未来に備えたことです。人間は自分の命が有限であることを知ると、未来のために持ちものを大胆に用いようとします。自分のものと思っていた財産、人間関係、時間、つまり自分の人生が、何一つ自分の思い通りにならないことを悟るとき、自分の有限性を受け入れ、人生のまことの主人である唯一の神の前にひざまづくようになります。人生に終わりがあることを知るならば、人は本当に大切なことに心を向けて生きることができるようになります。
主イエスはお金と所有に言及されました。パリサイ派のユダヤ人たちに対する指摘です。彼らはイスラエルの指導者でありながら、神殿よりも神殿に捧げられる黄金を愛し(マタイ23章16-17節)、主イエスの教えを憎み、嘲笑しました。パリサイ派の彼らこそ、神の意思に反して、彼らに託されていた約束と祝福を浪費していた者たちでした。
わたしたちは皆、神の宮です(コリント第一3章16節)。神の宮の主人は、神です。わたしたちは、あらゆるものを神から託されている立場です。ですから、わたしたちは神の働きのために時間とお金を大胆に用います。主人の財産の管理者として当然のことです。主人は、ご自分の財産を忠実に管理する者に、より多くの財産をお任せになります(ルカ16章10-13節)。賢い管理人は、主人によってますます豊かにされるのです。祝福は神様がくださるものですから。
神を知らない人は、わずかな時間も、お金も、神と神の働きのために使おうという発想がありません。しかし、人間は、主人に託されたあらゆるものを、定められたときに全て主人に返さなければなりません。ですから、わたしたちは、この世の富や名誉といった過ぎ去るものを得るために生きてはなりません。神から託されているあらゆるものを、愛をもって大胆に用いましょう。神のために用いると言っても、実際すべてはわたしたち自身と子孫がその恩恵を受け取ります。わたしたちは、天にも宝を積み上げ、地にも来たるべき神の御国の希望を持っているのです。