礼拝説教

不正な裁判官


2023年07月02日

ルカの福音書18章1-8節
イエス・キリストは、「いつでも祈るべきで、失望してはいけない」とおっしゃいました(1節)。問題があるなら祈りなさいということです。別の場面で、イエス様は「あなたがたはわたしの友です」と言われました(ヨハネ15:14)。一方、ある人については「友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう」とも言われました(ルカ11:8)。とすると、イエス様の友だからといって、何不自由なく与えられるというわけではないのかもしれません。では、どうすればよいのでしょうか。イエス様は、「いつでも祈るべき」だとおっしゃいました。切に求めなければならないのです。他人からどう思われようが一向に構わないというほど熱心に祈り求め続けるなら、神様は与えてくださいます。今、イエス様は特別な秘儀を語っておられるのではありません。切実に祈る心を保ち、友のために求めるのならば、パンを得ることができるのです(ルカ11:5-13)。

The Steadfast Love of the Lord

The steadfast love of the Lord never ceases His mercies never come to an end They are new every...

毒麦のたとえ

2023年09月18日

マタイの福音書13章24節〜30節、36節〜43節 神様が存在するなら、なぜこの世界から暴力と争いが無く...

ぶどう園と農夫のたとえ

2023年09月10日

マタイの福音書21章33-46節 このたとえは(しゅ)イエス・キリストご自身の置かれた状況を説明してい...

かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった

2023年09月03日

列王記第一 17章1節〜16節 預言者エリヤの時代、日照りが激しく、雨も降らず、露も降りず、あらゆる...