2023年06月25日
ペテロの手紙第一 2章1~10節
民を導く者として最も重要な資質は主(しゅ)イエスに似るということです。イエス・キリストだけを見上げ、拠り頼み、御言葉に従う、そのような信仰こそ純粋と言えるでしょう。親として子を育てるときも、我が子の内面に育むべきなのはイエス様に似ていこうとする姿勢です。ペテロには未熟な部分も多かったですが、彼の素晴らしい点は、イエス様の言葉にすぐ従い、イエス様に似ていこうともがき続けた純朴さです。本文の手紙では、旧約の預言を随所に散りばめながら美しい言葉でイエス様を証する、立派な指導者として成長したペテロの姿が目に浮かびます。
民を導くために選ばれた民は、神様に導かれて生きるのです。神様に従う姿を通して民を導くことが選民の使命です。使徒ペテロは本文1節で、選ばれた民が「悪意」「偽り」「偽善」「ねたみ」「悪口」と決別するべきだと言います。クリスチャンはただ信仰によって義とされたのであり、こうした罪を犯す習慣が依然として残っています。これらの罪は創世記3章で人間を誘惑した蛇に見られたものです。ペテロからクリスチャンへの忠告は、救われた後、それで終わってはいけないというものでした。
万民を神へと導く祭司の使命があります。それは、愛の重荷を負うことです。真の喜びは愛の重荷から湧き起こるのです。イエス・キリストは十字架を負うことは「喜び」だと仰いました。(ヘブル人への手紙12章2節)そして、私たちが同じ喜びで満ち溢れるように、互いに主の愛をもって愛し合いなさいと仰いました。(ヨハネの福音書15節12節)
心が清く、愛に満ちている人は、神様を見るようになり、神様からいただく恵みを待ち望みます。清い心は聖霊の通路になります。神様の力がその人を通して表されます。ですから、神様に用いられるには、純粋な信仰を持つことが大切です。生まれたばかりの乳飲み子のように、霊の乳である神様の御言葉を求めることです。
私たちに大きな仕事が委ねられています。私たちはイエス・キリストと共に霊の家を築き上げる生ける石です。神に喜ばれる霊のいけにえを、イエスキリストを通して献げる聖なる祭司です。(本文5節)