礼拝説教

聖霊の降臨に備えて


2023年05月21日

使徒の働き1章12-26節

イエス・キリストが預言された通り、マルコの家の屋根裏部屋でこの後に聖霊によるバプテスマが一人ひとりに授けられました。彼らが聖霊を受け取るための過程とはどのようなものだったのでしょうか。今日はその過程を一つずつ読み取っていきましょう。

オリーブ山は聖霊の到来を待ち望む出発点でした。弟子たちはゲツセマネでイエス様を置いて逃げた苦い思い出と、主の愛を再び思い起こしました。悔い改めと恵みに対する感謝こそ聖霊を受け取る出発点に他なりません。

イエス様は「エルサレムを離れず、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と言われました。イエス様の宣教はガリラヤで始まり、エルサレムに到達しました。弟子たちはイエス様の務めを継承し、地の果てにまで福音を宣べ伝える使命を授かりました。ですから、彼らはエルサレムで聖霊によってその力を受け取る必要があったのです。使徒の働き2章で聖霊のバプテスマを受けた彼らは、エルサレムから出発し、ローマおよび世界各地へと宣教を拡大していったのでした。

マルコの家の屋根裏部屋には、イエス様の11人の弟子たちが集まっていました。取税人のマタイと熱心党のシモンは政敵でしたが、祈りによって彼らも一つになりました。私たちもまた、嫌いな人や苦手な人を受け入れ、隣人との間にある心の障壁を主の復活の力によって取り除く必要があります。

イエス様の母マリアや兄弟たちもその場にいました。イエス様が宣教を始めたとき、身内からは気が狂ったと言われ、家族がイエス様を連れ戻しに来ることもありました。信仰を生きる人は家族から理解されないこともありますが、それは私たちが神に捧げる犠牲です。しかし、家族よりも神の国を優先することによって神様は私たちを豊かに祝福してくださいます。今、祈りの場にはイエス様の家族も集まっています。彼らはイエス様が神の御心に従って生きたこと、家族を捨ててまで進むしかなかったことに気付かされたのです。私たちが神様のために捨てたと思っていたものを、神様は最後に回復し、さらに増し加えて与えてくださるのです。

イスカリオテのユダはイエス様の忠実な弟子でした。イエス様はユダを愛し、金を預けるほど信頼していました。しかし、彼の最期は悲惨なものでした。私たちはユダの裏切りを教訓として覚え、同じ誘惑には警戒しなければなりません。ペテロはユダの裏切りによってダビデの詩が成就してしまったと言いました。詩篇109篇5節には『彼らは善に代えて悪を 愛に代えて憎しみを 私に返しました』と書かれています。ペテロはさらに8節を引用し、ユダが去った後に空いた席を埋める必要があることを指摘しました。私たちはエサウとヤコブの物語から学びました。エサウは長子の権利を軽んじてヤコブに売りました。祝福を逃した後、彼は悲しみのあまり泣き叫びました。神様の歴史の中で、与えられる者と取り去られる者が存在することを忘れてはいけません。

25節には『ユダが自分の場所へ行くために離れてしまった、この奉仕の場』と書かれています。神様は私たちを捨てることはありません。私たちが神様から離れるのです。人間関係の悪化や状況のせいで隣人に捨てられることもあるかもしれません。しかし、神様は私たちを放さずに掴んでおられます。そして、私たちがそのような状況に置かれた理由や神様の計画があることを忘れてはいけません。ペテロの祈りが私たちの祈る祈りでなくてはなりません。人の思いによらず、神様の御心とご計画に自分の一切を委ねるなら、神様は必ず、定められたときに御心を表してくださいます。私たちは信仰者として神様に大切な役割を与えられていますので、聖霊の臨みを求めるために自分自身を整えて歩みましょう。

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