2023年05月14日
使徒の働き16章16-33節
イエスキリストの御名の力は偉大です。パウロとシラスがイエスキリストの御名をのべ伝える使命を掴んで生きたとき、奇跡が起こりました。
使徒たちは、復活したイエス様にガリラヤで会いました。ガリラヤは主が罪人に触れ、癒し、真理を教えてくださった場所でした。私たちが罪人としてイエス様の前に立つとき、私たちはイエス様の復活を見るのです。
使徒の働き16章には、占いの霊につかれている若い女奴隷が登場します。占いで主人たちに多くの利益を得させた。女奴隷は肉体的にも霊的にも自分以外の者の所有となっているのです。このような人は今の時代にも多いでしょう。パウロとシラスは女奴隷から占いの霊を追い出し、彼女を自由にしました。主イエスの御霊によって魂に自由を得させることこそ、神のしもべとして遣わされた私たちの役目です。「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。この女から出て行け。」これは説得でも指導でもなく、命令です。真の主人であるイエス・キリストが来られたのですから、偽の主人である悪霊も奴隷の主人も退散するしかありません。
20-24節、悲惨な状況下にある二人を見てください。しかし、彼らは祈りました。そして、神様を賛美しました。彼らの心に天国があるのです。暴力も、投獄も、死の恐怖も、神のしもべたちを絶望させることはできないのです。彼らの強さの源は喜びです。皆さんの人生に、時には暗い牢獄に閉じ込められているかのように、足に足かせをはめられているかのように、辛く険しい時があるでしょう。そのような時、この二人のしもべの驚くべき姿を見てください。彼らは真夜中の真っ暗な、不潔で悪臭の漂う牢獄の中で、神が彼らと共におられることに感謝し、希望の夜明けを確信し、神を賛美しました。
神の力は、囚われ人を解放する力です。その力は地震によって牢獄を破壊することを目的としていません。パウロとシラスが壊れた牢獄から逃亡しなかったのも、神のしもべとして生きる意味を知っていたからです。それは自分自身が難を逃れて命を保つことではなく、自分を鞭打つ敵を愛し、彼とその家族を救いへ導く生なのです。