礼拝説教

「私の家をいっぱいにしなさい」


2023年05月07日

ルカの福音書14:12-24はイエス様のたとえ話です。これは神様による救いの歴史を表しています。最初に神様の歴史に招かれたのは、アブラハムの子孫である最初のイスラエル、ユダヤ人でした。しかし、神様は新しい人々、すなわちクリスチャンを呼び寄せました。彼らは新しいイスラエル、人目に隠れたイスラエルとされています。信仰者にとって最も重要なことは、神様に招かれた時に宴会に同席することです。信仰者の人生は、神様に招待されて出席した宴会です。信仰者の人生は、神様のわざを目撃し、証言し、神様のめぐみを賛美する人生です。

人間の堕落とは、ローマ人への手紙1章21節で「彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もしない」と表現されています。堕落は神様に感謝しないということであり、それが私たち人間の罪です。神様がなさる大きな働きを知らなければ、どのように神様をあがめることができるでしょうか。

重要なことは、神様の救いの歴史の最前線に立っていることです。神様が大いなるわざをなさろうとする宴会の席にいなければなりません。例えば、大学入試の当日に向けて勉強しても、試験当日に寝坊して試験に遅刻してしまえば努力が水の泡になってしまいます。同じように、神の働きを誰も見ていなかったら、その働きが何の役に立つでしょうか。クリスチャンが神様が働いている最先端の現場にいないのなら、神様の働きを誰も知ることがないのです。

ルカの福音書14章では、ある人が盛大な宴会を催して、大勢の人を招きました。
最初に招かれた人たちは、最も招かれるべき人たちだったはずです。でも、彼らは招きに応じませんでした。後から招かれた人たちは平凡な人たち。あらゆるたぐいの人たちです。イエス様の弟子たちがそういう人たちでした。弟子たちは平凡な、ありふれた人たちでした。神様のみくにを導いていくように思われる人たちではなかった。しかし、彼らは最後まで従っていきました。

信仰は、神様の歴史が開かれていく舞台です。信仰は、神様の宴会の席です。私たちは信仰の人生を最後まで行かねばなりません。神様の宴会の席に着いて、神様の歴史を証ししなければなりません。

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