2023年04月30日
ヨハネの福音書9章1-7節
これは、私たち人間の姿です。人は、多かれ少なかれ霊的に盲目であると言えます。イエス・キリストの弟子たちは、「あの人が盲目なのは誰の罪のせいですか」とイエス様に尋ねました。罪が災いを呼び起こすという考え方は、私たちが倫理的に生きるための励みとなります。多くの場合、私たちは、人を過去に基づいて判断しようとします。しかし、イエス様は、その人の過去を見るのではなく、過去を超越するもの、未来に目を向けています。それこそがイエス様の信仰でした。
信仰とは何でしょうか。ヘブル人への手紙11章1節は、「信仰は、望むことを保証し、目に見えないものを確信するものである」と述べています(新改訳2017)。イエス様は私たちに大きな望みを持ってくださいます。このイエス様の心こそが、神様の心であるのです。
まことの望みとは、現在の姿からは想像もつかないことを信じることです。完成したものや完成の兆しが見えたものだけを信じようとするのは、真の望みではありません。今は見えなくても確信するということが、神様が私たちを見るときの心であり、私たちが神様に対して持つべき信仰なのです。