2023年02月26日
コリント人への手紙第二4章3節
マルコの福音書14章9節
キリスト教と呼ばれる教えは、どうやって神を知り、関わりを持つべきかを私たちに教えます。神を知るために最も大切なことは、イエス・キリストの愛を知ることです。イエス様が地上に来られて宣教なさったとき、キリストを待ち望んでいたイスラエルの民、ユダヤ教の律法学者や宮の指導者はキリストの愛を理解せず、それどころかイエス様の殺害を画策しました。
マルコの福音書14章には女の人がイエス様に非常に高価な香油を注ぎ、周囲にいた人々が憤慨して女性を厳しく責める場面が記されています。この場面は新約聖書の4つの福音書に記されていますが、誰が女性に憤慨したかは福音書ごとに異なり、マタイの福音書はイエス様の弟子たち、ルカの福音書はパリサイ人、そしてヨハネの福音書はイスカリオテのユダを挙げています。律法を知る者たちやイエス様と行動を共にしてきた弟子たちは、この女の人の行いを無駄で愚かだと言いました。
この女の人は自分が大切にしていた最も大切なものをイエス様にお捧げしました。当時、女性の社会的立場は非常に低いものでしたから、高価な香油は将来のための蓄えであったかもしれません。どうしてこの女性は、大切な香油をイエス様に全てお捧げしたのでしょうか。それはイエス様が彼女と人々のためにご自分の命を捨てようとされていること、その愛、すなわち「福音」を彼女が悟ったからでした。律法学者や弟子たちはイエス様の愛の犠牲に気づくことがありませんでしたが、この女性は気づいたのです。そして自分もイエス様に自分の最高の犠牲を受け取ってもらうことを願ったのでした。
この女性が悟ったイエス様の深い愛、その方の命の尊さを知る原体験が必要です。私のような救いようのない罪深い者に真の愛を表すために、罪なきお方がご自分の命をお捨てになるとは、何と畏れ多いことでしょう。この女性はその愛に触れられ、全力で応答しました。この女性がしたことは無謀で愚かなことですが、これこそイエス・キリストがなさった救いのみわざの意味なのです。人類はこの救いをいただいたのです。ですから、私たちはこの福音を悟り、この福音を生きなければなりません。