2023年02月12日
ヨハネの福音書4章7~10節
ヨハネの福音書3章にはイエス様とパリサイ派のユダヤ人議員ニコデモの対話、続く4章にはイエス様とサマリアの女の対話がそれぞれ記録されています。イエス・キリストを受け入れなかったユダヤ人と、イエス・キリストを受け入れたサマリア人の対比が鮮明に映し出されています。ユダヤ人にはイエス様の福音が理解できませんでした。対して、サマリアの女はイエス様の福音を理解し、信じました。
ヨハネの福音書3章にはもう一つのエピソードが書かれています。バプテスマのヨハネとその弟子たちの問答です。バプテスマを授ける集団が2つ存在しています。一つはイエス様とその弟子たちの集団であり、もう一つはヨハネとその弟子たちの集団です。2つの集団は別々にバプテスマを授けていました。そして、イエス様の集団のほうに従ってくる者たちのほうが次第に多くなっていきました。ヨハネは主(しゅ)の道を用意し、その道をまっすぐにする使命を担う者でしたが、イエス様に対する美しい証の言葉(ヨハネ福3:29-30)とは裏腹に、イエス様の集団に合流して宣教することはありませんでした。
イエス様はイスラエルの家の失われた民のところに遣わされたのですが(マタイ10:6、15:24)、エルサレムの神殿の腐敗した政治を嘆き、指導者に疎まれて命を狙われます。イエス様はガリラヤへ向かう途中、サマリア地方を通りました。そこで旅の疲れから、井戸の傍らにお座りになりました。イエス様の旅は想像以上に険しかったのです。それは拒絶の旅路でした。ご自分の民がイエス様を信じようとせず、神の御心を受け入れてイエス様と一つになることができない、それがイエス様の心痛の最も大きな原因ではないでしょうか。伝道者に最も大きな苦しみをもたらすものが不信と拒絶です。伝道を通して経験するそうした痛みを通して私たちはイエス様と出会い、その方をより深く知るようになるのです。
イエス様が腰を下ろし、サマリアの女が水を汲みに来たのはヤコブの井戸でした。偉大な先祖ヤコブもここから水を汲んで飲んだと言われる由緒正しい井戸で、彼女はどのような思いで水を汲んで暮らしていたのでしょうか。女はそこでイエス様と出会い、イエス様が彼女に声をかけます。ユダヤ人はサマリア人を嫌い、付き合いをしないのが一般的でしたから、女は驚きました。
ご自分から声をおかけになったイエス様の立場でこの状況を見るとどうでしょうか。エルサレムでの様々な出来事や長旅の疲れがあり、ユダヤ人とサマリア人の断絶関係があり、それでもイエス様は女に声をかけました。福音が私たちのところに届けられるまでには、伝えてくださった方に様々な困難や事情があり、その出会いを守り導いてくださった神様の御心があるのです。なんと感謝なことでしょうか。
サマリアの女はイエス様の声かけに驚きましたが、イエス様を反射的に拒むのではなく、イエス様に関心を抱きました。「ユダヤ人とサマリア人の絶交を知りながら、何がこの人を突き動かして私に語りかけたのだろうか」とイエス様の事情を知ろうとしたのです。この女性の魂は真理に対して開かれていたので、イエス様の言葉を理解し、福音を受け入れることができました。
私たちは皆、福音を伝えるために神様に呼ばれました。福音は私たちから出たのではなく、キリストを通して神様から私たちに委ねられた贈り物です。福音を伝える者の信仰と、福音を受け取る者の開かれた心が合わさるとき、聖霊様が働いて魂を救いへと導いてくださいます。