2023年01月15日
出エジプト記3章1-5節 ペテロの手紙第1 1章14-16節
出エジプト記3章は神様=主(しゅ)がモーセの目前の燃える柴の茂みの中に現れた場面です。神様は、ご自身が現れた場所は聖なる地である、とおっしゃいました。宇宙万物を創造された唯一の神は聖なる方であられます。天国では御使いたちが昼も夜も休みなく神様を「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。」(ヨハネの黙示録4章8節)と礼拝しています。
ヘブライ語で「聖なる」という言葉は「分ける」や「分離」という意味です。「分ける」とは、光を表します。光があり、闇があります。光と闇は決してひとつになれません。光は、栄光です。栄光とは、闇がなく、光だけがそこにあることです。神の栄光には、闇がありません。
私たちが地上でささげる礼拝は、天国の礼拝の写し(影)です。(ヘブル人への手紙9章23-24節)私たちの礼拝は、神様があらゆるものから区別された聖なる方であるという告白です。イエス・キリストを通して完全に御姿を表された神様は、愛と恵みの神様でした。しかし我々は神様が聖なる方であることを忘れてはいけません。
神様が聖なる方であることを悟るとき、私たちに信仰が芽生えます。聖なる方の前に私たちが罪を告白してひれ伏し、聖書の御言葉に従うことを通して信仰は成長します。
旧約聖書『レビ記』は神様がモーセに託された律法の細則を記しました。その書で神様は「あなたがたは聖なる者でなければならない」と四度繰り返されました。そして、場所、時間、人、物質を区別しなさいとおっしゃいました。イスラエルの民が他の民と区別されて、主の民と呼ばれ続けるために。主を忘れて世の民と同じように神から遠ざかり、消えていってしまわないように。神様は、イスラエルの民を清め、訓練するために、区別を守り行いなさいとおっしゃいました。
これらの区別が一度に行われるのが礼拝です。イスラエルの民は、聖なる場所、聖なる時間、聖なる人、そして聖なる物質を神様にささげることを通して、神様に自分たちを世の他の民から区別していただきました。
新約聖書にも、イエスキリストに従う者は聖なる者になりなさいという勧めの言葉が多く記されています。義と認められた者は、聖化を経て栄化に至る道を歩んでいます。その聖化の出発点は、区別することです。聖霊が来てくださるために、全てを区別して準備し、礼拝に臨むことが大切です。聖霊が神様のみこころを私たちに伝えようとしてくださるのです。私たちは聖霊の働きを受け取れるように心と一切のものを備えなければなりません。
聖なる心でささげる礼拝は霊的な空気に満ちています。神様も礼拝に向けて準備しておられるのではありませんか。私たちも準備しなければなりません。そして更に一歩進むなら、私たちの人生の全てが神様への聖なる生きたささげ物として献げられるべきです。(ローマ人への手紙12章1節)世と混じらずに私たちの人生を神様の前に区別してささげるならば、神様は私たちを聖なる働きのためにお用いになるのではないでしょうか。