2025年03月16日
本文:使徒の働き(使徒言行録)21章1節〜26節
使徒パウロがエルサレムへ向かう旅路を学んでいます。パウロはツロに立ち寄り、そこで信仰を持つ弟子たちと出会いました。聖書にはツロでの宣教の記録はありませんが、福音はすでにこの地に届いていました。主(しゅ)イエスがかつてツロについて語られたように(マタイ11章21節)、異邦人の地にも神の救いが広がっていたことが分かります。
一方で、パウロがエルサレムで受ける苦難についての警告が続いていました。弟子たちは彼を思い、引き止めようとしました。しかし、パウロは聖霊の導きを確信し、エルサレムへ進む決意を変えませんでした。私たちの目には危険や困難が大きく見えても、神はそれを通してさらに偉大な計画を進められるのです。
旅を続けたパウロは、カイサリアでピリポと再会しました。かつてピリポは、迫害によって散らされながらも異邦人へ福音を伝えた人物でした(使徒の働き8章)。一方、その迫害を引き起こしたのが、かつてのサウロ——後のパウロでした。そんな二人が、今や兄弟として交わる姿は、神の恵みの力を示しています。信仰の中で、人は変えられ、敵であった者が友となるのです。
エルサレムに戻るというパウロの決意は揺るぎませんでした。弟子たちが涙を流しながら彼を引き止めたとき、彼は「主イエスの名のためなら、囚われることも、死ぬことさえもいとわない」と語りました。これはゲツセマネの園でイエスが祈られた言葉を思わせます。パウロもまた、自らの願いではなく、神の御心を第一に求めていました。
ついにエルサレムへ到着したパウロは、兄弟たちに迎えられました。彼は異邦人の間で起こった神の御業を証しし、エルサレムの教会は神をほめたたえました。しかし同時に、パウロに対する誤解も広がっていました。彼は律法を否定したわけではなく、律法がキリストにおいて成就したことを宣べ伝えていましたが、人々はそれを正しく理解しませんでした。
私たちもまた、信仰を持って生きるとき、誤解されたり、困難に直面することがあるかもしれません。しかし、パウロのように神の導きを信じ、主のために歩むことが求められています。私たちもまた、この世の困難を恐れず、神の御心に従って歩んでいきましょう。