礼拝説教

妬みを超えて:信仰の戦い


2025年01月19日

本文:使徒の働き(使徒言行録)17章5節〜15節

テサロニケでのパウロの宣教は、多くの人々を福音へと導きました。しかし、それを見たユダヤ人たちは妬みに駆られ、暴動を起こし、パウロとシラスを襲撃しようとしました(使徒17:5)。この「妬み」は、カインの罪のように、心の中にある危険な感情です。聖書は「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ」と教えています(箴言4:23)。パウロは、こうした迫害にも負けず、福音を伝え続けました。

人間の罪は「高慢」と「妬み」に分類されます。アダムの罪は「神のようになりたい」という高慢でした。一方、カインの罪は、兄弟を妬み、結果として彼を殺してしまうという「妬み」の罪でした(創世記4:3-5)。私たちもこの罪と無縁ではありません。自分よりも祝福される人を見たとき、心の中に妬みが芽生えることがあります。しかし、聖書は「罪を治めなさい」(創世記4:7)と教えています。

パウロはこのような人間の罪を理解していたからこそ、ピリピ人への手紙で「キリスト・イエスの心を持ちなさい」と語りました(ピリピ2:5-8)。イエス様は神としての栄光を捨て、へりくだり、十字架に至るまで従順に生きられました。私たちもまた、妬みや怒りに支配されるのではなく、主イエスのようにへりくだることが求められています。

パウロとシラスは、迫害を逃れてベレヤへ向かいました。ベレヤの人々は、テサロニケの人々よりも素直で、御言葉を熱心に学びました(使徒17:11)。彼らは「そのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」と記されています。信仰とは、単に感情的に受け入れるものではなく、御言葉を吟味しながら深めていくものです。私たちも、聖書を学び、神様の真理を深く知ることで、信仰の確信を得ることができます。

ユダヤ人たちは、パウロを執拗に追い、ベレヤでも妨害を続けました(使徒17:13)。しかし、パウロは決して諦めず、アテネへと旅を続けます。彼の宣教の道は常に困難に満ちていましたが、それでも「世に勝った」主イエスに倣い、前進し続けました(ヨハネ16:33)。

私たちも、時には他者の成功を妬んだり、自分の境遇に不満を抱いたりすることがあるかもしれません。しかし、神様のご計画は常に「善なるもの」です。主の御言葉に信頼し、すべてを主の主権に委ねるとき、私たちは妬みの誘惑から解放され、喜びと感謝のうちに生きることができるのです。

私たちの教会も、妬みや分裂ではなく、主の愛とへりくだりの心によって建て上げられていくことを願いましょう。

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