2024年10月13日
本文:使徒の働き(使徒言行録)12章
説教要約
ヘロデ王によるキリスト教徒への迫害の結果、使徒ヤコブは殉教し、ペテロも捕らえられてしまいます。ペテロは厳重に監視されていましたが、天の御使いが介入してペテロを救い出しました。
世の権力がどれほど強大であっても、神のご計画を妨げることはできません。最終的には、迫害者でさえも神の力の前には立ち行かなくなるのです。ヘロデは自分の思い通りに事を進めようとしましたが、結局、神の手によってペテロは救い出されました。私たちもどんな困難な状況にあっても、神の主権が及ばない場所はないことを知り、信じる者として神の守りに信頼できるのです。
それでも、「なぜ一人は殉教し、もう一人は救われたのか?」という問いは残ります。これは私たちには理解しがたい現実ですが、すべては神の御心によるものです。私たちには神のすべてのご計画を理解することはできませんが、救いの歴史の中で、笑顔と涙が交錯することは珍しいことではありません。悲しみと喜びが交わり、神の力が最も明らかになる瞬間があるのです。
初代教会の使徒たちは、死を恐れない情熱を持っていました。それはローマ人への手紙14章8節に書かれているように、「生きるなら主(しゅ)のために生き、死ぬなら主のために死ぬ」という信仰に支えられていたからです。私たちも同じように、どんな状況においても、すべてを神にお委ねできるのです。地上では、神の国のために働き、時には苦しみを経験しますが、もし死を迎えるとしても、それは主のもとに召されることであり、悲劇ではありません。私たちにとって、死は終わりではなく、主と共に喜びの中で生きる新しい始まりです。だからこそ、クリスチャンの喜びは決して揺らぐことはなく、止められることもないのです。
教会がペテロのために祈り続けたように、私たちも試練の中で神にひたすら祈り続けることが大切です。その祈りは必ず神に届き、速やかに応えられるのです。祈りを通じて、私たちは神の力を経験し、どんな困難からも解放されることを信じて歩むように導かれています。