礼拝説教

悔い改めて神に立ち返りなさい


2024年06月30日

使徒の働き/使徒言行録 3章16-26節

(説教抜粋)
ペテロは、イエスの名を信じる信仰がこの足の不自由だった人に奇跡をもたらしたと説き、その信仰の力を皆が目撃したのだと群衆に教えました。キリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられた(Ⅰコリント 15:20)。そのよみがえりのように、この生まれつき足の不自由な人が完全なからだにされました。これがイエス様によって与えられる信仰の力です。

ペテロは、救いの歴史を知らずに行った行いを悔い改める必要性を訴えます。(17節)我々は救いの歴史を知らなければなりません。神の世界観に対する目が開かれる必要があるのです。「兄弟たち」とペテロは人々を呼びます。一人ひとりの魂に、このように接することができるでしょうか。私たちは皆、主(しゅ)にある兄弟と姉妹です。

神は、預言者たちの口を通してイエスの受難を予告しており、救いの計画が成し遂げられたと説明します。葡萄園の主人と農夫のたとえを見れば、父なる神がどのような願いをもって御子をこの地に送ってくださったのかが分かります(マタイ21章33-39節)。主人は、自分の息子なら敬ってくれるだろうと期待して農夫たちのもとに息子を送ったのです。農夫たちはどうすべきだったでしょうか。息子を迎え入れるべきでした。それなのに、彼らは「あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれの相続財産を手に入れよう」と言って、その息子をぶどう園の外に追い出して殺してしまいました。

私たちはこの罪を悔い改めなければなりません。私たち罪人がいのちの主(しゅ)キリストを殺したのです。論理の飛躍ではありません。人類が神に対して犯した歴史的な罪を私たちは悔い改めなければならないのです。神は、そのような砕かれた心の持ち主を探しておられます。そして、「神に立ち返りなさい」とペテロは言います。 立ち返るという言葉には「心を取り戻す」という意味が含まれています。そして、「立ち返る」というのは主(しゅ)イエス・キリストを憎み、その方を受け入れなかった不信仰から立ち返ることを意味します。ここでの悔い改めは、すべての民が悔い改めなければならないという意味を内包しています。

続けてペテロは、「そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。」と言います。これは罪をぬぐい去っていただきなさいという意味です。罪をぬぐい去っていただくことは愛です。罪によって罰(懲らしめ)を受けるのではなく、悔い改めて愛を受け取りなさいと言います。この愛とは、私たちが罪人であるにもかかわらず、主(しゅ)がご自分のいのちを贖罪の供え物としてお捧げになり、私たちを救ってくださいました。その愛を受け取るということです。これがまさに私たちが昼夜を問わず声を上げて伝えなければならない神様の愛です。

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