2024年01月14日
本文:ガラテヤ人への手紙4章21節〜31節
パウロは、アブラハムの2人の子イシュマエルとイサクを比喩的に解釈し、ガラテヤの信徒たちがアブラハムの家系の間違った系図につながる危険を指摘しました。イシュマエルの母親ハガルは奴隷であり、イサクの母親サラは自由の女でした。母親の立場は二人の息子の地位を左右しました。第二に、ハガルは自然に妊娠して生まれましたが、サラは神の約束が成就して90歳という高齢にもかかわらず超自然的に妊娠しました。パウロは、「行いによって義とされる者」と「信仰によって義とされる者」との間に対立が生じたように、「肉である自分自身への信頼」と「霊である神への信頼」との間に対立が生じていると言いました。
福音は、アブラハムとその子孫によってすべての国民が祝福されるという神の約束の成就でした(ガラテヤ3:8、ガラテヤ3:16参照)。後に与えられた律法は、イスラエルの民をキリストへと導くために神が導入なさった暫定制度でした。その律法は神とアブラハムとの約束がイエス・キリストによって成就されるまで有効でしたが、それ以前からある神とアブラハムとの約束に条件を付け加えることはできなかったのです。
4章27節はイザヤ書54章1節の引用で、アブラハムとサラに与えられた祝福の成就を指しています。サラは約束によって大きな祝福と多くの子孫を与えられます。救い主であるイエス・キリストを信じる信仰によって義と認められた私たちは信仰によるアブラハムとサラの子孫です。すなわち、クリスチャンは超自然的な誕生という神の約束の成就に数えられるという点で、イサクの立場です。ですから、クリスチャンは奴隷の子として生きてはいけません。
律法主義者たちは、律法を守ることによって、まるで神に貸しを作って祝福を取り立てているかのようです。しかし、人は自分の力や行いによって神の好意を得ることはできません。正しい信仰は、神の恵みを信じる信仰です。恵みに対する信仰というのは、神が約束してくださったものが実現されることをただ信頼することです。