2023年04月02日
ローマ人への手紙5章12-21節
アダムから始まった罪の歴史では、誰もが罪の支配の下で呻いていました。創造主が創ったエデンの園にアダムを通して罪が入りました。その彼の罪を通して、 死は私たち全人類に入ってきたのです。私たちの魂は、罪と死を望んでいません。かえって、私たちの本性は命を願い、私たちの良心は義を願っています。しかし、それでも罪は明らかに私たちの中にあることを皆知っていますし、すべての人は死を迎えるという現実があります。
パウロはこの罪と死の持つ力を「支配者」と表現しました。誰が私たちを罪と死の支配から解放してくれるのでしょうか。私たちには新しいアダムが必要なのです。この新しいアダムこそイエス・キリストに他なりません。
一人の人アダムの罪が全人類に広がったように、まことの人イエス・キリストの義がその方を信じる者に転嫁されました。一人の人アダムの不従順によって多くの人に死がもたらされ、一人の人イエス・キリストの従順によって多くの人が命を得たのです。
「原罪」とは「連帯」に関することだと言えるのです。アダムが神様の戒めを破って堕落してしまったことで、アダムに属するすべての人が罪人になったからです。罪は本質的に構造的です。すなわち、罪は人間の制度や社会によって共有されることを知らねばなりません。人類を支配する罪の権威はアダムから始まり、彼を頭(かしら)として、彼の罪が全ての人を支配しました。それはちょうど、人体は有機的であり、体の各器官はつながっていて、各器官は頭の決定によって制御されているのと同じです。しかし今、教会の頭となられたイエス・キリストを通して、彼の義が私たちの人生を支配し、その方の十字架を通して命の力が罪の世に泉のように湧き出るようになったのです。信じて救われた者たちは、古いアダムから切り離され、新しいアダム、イエス・キリストを頭として生きるようになったのです。