2023年03月12日
ローマ人への手紙7章15−25節
聖書は、肉体の病とその治癒よりも、人間の内面の姿、その霊的な病と清めを教えています。人生で何より重要なのは人の内にある世界です。目に見えるものが本質なのではなく、目に見えないものこそ本質だからです。使徒パウロは、このローマ人への手紙7章で自分の正直な告白を通してクリスチャンの霊的な現実を教えてくれます。クリスチャンは救われて神に義と認められ、神様の子とされましたが、内には葛藤を抱えているのです。聖書の人間観は、一人の人間の中に「神様のかたち(創世記1章27節)をもった私」と「罪人(つみびと)である私」の両方が共存しているというものです。
パウロは、だれの内にも存在する「2人の自分」を区別していたので、人間の本性については楽観的な見方をしていました。新約聖書『ピレモンへの手紙』で、奴隷オネシモは主人ピレモンの元で盗みを働いて逃亡した先でパウロと出会い、そこでパウロによって福音を知り、救われました。パウロはピレモンとオネシモの双方を信頼して和解をとりなし、二人をキリストによる兄弟になるように導きました。私たちが憎むべきは罪であり、不法を行う人の存在自体であってはなりません。
主(しゅ)イエス・キリストは、私と貴方の罪を背負って十字架にかかり死なれました。主イエス様は私たちを愛してくださっています。しかし、その愛は私たちの罪をも愛しておられるということではありません。「罪人である私」との葛藤によってうめき苦しむ傷ついた魂としての「神の子である私」を愛しているのです。人は罪に支配されているので、罪が人を制圧し、人の魂を苦しめるのです。罪は不法占拠者なのですから、所有者は彼に立ち退きを命じなければなりません。「神の子である自分」は生かし、「罪人である自分」は滅ぼす必要があるのです。
パウロが自分の罪を正直に告白したように、私たちもまた神様の前に正直な姿でいられるでしょうか。クリスチャンは皆、自分の内に「罪なる自分」をもって生きています。聖書とキリストとを通して真理の光に照らされたクリスチャンは、自分と人との罪に敏感になり、自分の中で巻き起こる「善なる自分」と「悪なる自分」の戦いに苦しむのです。
神様は、御子イエス様を通して、私たちの罪をきよめてくださり、その方の肉の身体を通して罪と死の勢力を処罰されました。霊が肉に完全に打ち勝ったのです。イエス・キリストのわざを信じる者は肉に依らず霊によって生きるように変えられ、罪との戦いに圧倒的な勝利を収めることができるようになります。
※内省ーー「自分の思想、行動などを深く省みること。反省。」