2025年04月21日
本文:使徒の働き(使徒言行録)ヨハネの福音書21章
1.なぜ21章が加えられたのか
ヨハネ20章は「イエスが神の子キリストであることを信じ、いのちを得るため」という締めくくりで終わります。しかし聖霊はもう一章――21章――を付け加えました。そこでは、よみがえられた主が弟子たちに“具体的な生き方”を示しておられます。復活の信仰が、どのような愛と使命に結びつくのかを理解するために、私たちはこの章を読まなければなりません。
2.ティベリア湖畔での再会(1〜14節)
ガリラヤ湖西岸ティベリアでの出来事です。ここは主(しゅ)イエスが最初に弟子たちを召された場所でもありました。七人の弟子は夜通し網を打つものの、一匹も捕れません。夜明けに岸辺に立たれたイエスは「舟の右側に網を打ちなさい」と語られ、大量の魚(153匹)が獲れます。復活の力は「人間をとる漁師」としての使命を再確認させるものです。153匹は、人間をとる漁師によって集められる「すべての民族」を象徴し、福音が世界に及ぶことを示唆します。
弟子たちがイエスと気づかなかったのは、エマオ途上の二人と同じ姿です。愛をもって主を求めるときにのみ、目は開かれます。 マグダラのマリアが最初に主に会えたのも、その愛のゆえでした。
3.「わたしを愛しますか」(15〜17節)
食事の後、主はペテロに三度尋ねます。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛していますか。」ペテロの「愛しています」(フィリア=友情)は、イエスの問いにある「アガペー=無条件の愛」より低い次元の語です。それでも主は三度目にフィリアで問い直し、ペテロの悔い改めと愛を受け止められました。主イエスの三度の質問は、愛の回復でした。すなわち、ペテロが三度主を否んだ過去を癒やし、再び使命を託したのです。「わたしの子羊を飼いなさい」。主を愛する具体的行為は、主の羊を養うこと――弟子への牧会と宣教です。
4.従順と将来(18〜23節)
イエスはペテロの将来の殉教を示唆しつつ、「わたしに従いなさい」と命じられます。他の弟子の歩みについて詮索するペテロに対し、主は「あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」と語られました。弟子は与えられた道を黙々と進むことが求められます。
5.結び(24〜25節)
ヨハネは「世界を書き尽くしても足りないほど多くのことをイエスは行われた」と記し、福音書を閉じます。
私たちへのメッセージ
復活の主は、愛をもって探し求める者にご自身を現されます。教会は「人間をとる漁師」という使命を忘れてはなりません。主を愛する最も具体的な方法は、主の羊を養うことです。それぞれに与えられた道を、比較せず、主に従って歩みましょう。
復活の力は、死に勝利した愛として私たちを立ち上がらせ、世に出て福音を伝える使命へと導きます。主が示された方向に網を下ろすとき、私たちの働きもまた豊かな実りで満たされるのです。