2020.12.13 主に感謝することは良いことです

2020.12.13 主に感謝することは良いことです

聖書本文:詩篇92篇1~4節

説教(講話):
安息日とは、創造主である唯一の神にのみ、心を向ける日です。被造物である人間が神の前に立つとき、自分の信仰の深さや功績、社会的地位、財産、年齢や性別は一切関係ありません。神は天におられ、人は地に生きます。神は無限であり、人は有限です。私たち人間は、いと高きところにおられる方を仰ぎ見つつ、その方に感謝し、その聖なる御名を褒め称えます。

私たちは賛美を歌います。天を仰いで、手を伸ばして賛美をする人も多くいます。手を掲げて主を賛美するというのは聖書的な賛美の姿です。単に目に見える姿のことではありません。それは心の有様を表しています。

どうして神様を賛美して礼拝するのでしょうか。神様に感謝するからです。なぜ神様に感謝するのでしょうか。詩篇92:1によれば「神様に感謝することは良いことだからです」と答えられるでしょう。「良い」というのは私にとって良いということではありません。私の気持ちが良くなるからではありません。92:4「あなたの御手のわざを私は喜び歌います」とある通り、賛美自体が私に喜びをもたらすのではなく、神様が私になさったことで喜び、賛美するのです。信仰とは、神様が私にしてくださったことを悟ることです。その信仰を通して、私は礼拝と賛美を捧げます。

「主に感謝することは、良いことです。」これは人間の水準で良し悪しを評価しているのではありません。聖書が教える「良い」とは、私たちが考える「良い」とは水準が違います。聖書で唯一の良い方は、神様だけです。だから良いとは神聖であり、完全であり、正義であり、真理であるということです。唯一の神様に感謝することは聖なる行為です。私たちが心から神様に感謝をすることによって、私たちは聖なる礼拝を捧げるのです。

安息日は1週間の初めの日です。私たちはその日に礼拝を捧げます。私たちは神様に最初のものを捧げるべきです。この順序が逆になってはいけません。神様を優先する生き方が、私たちが神様に捧げる、生きた聖なる礼拝なのです。

創世記で、カインとアベルは神様にいけにえを捧げます。二人ともアダムの子であり、したがって堕落した罪人の子孫です。私たちが知るべきなのは、神様が罪人のいけにえを受け入れる理由は何一つないということです。神様との関係が絶たれた罪人の立場とはそのようなものです。

神様はアベルのいけにえを受け入れてくださいました。へブル書は、アベルがカインよりも優れた、信仰によるいけにえを捧げたと記録しています。(へブル書11:4)カインは神様が自分のいけにえを受け入れなかったことに腹を立てました。カインが神様に対する尊大な思い上がった心を持っていたことが分かります。私たちは生来、祝福をいただくことのできない呪いの子孫であったことを忘れてはなりません。

神様にはカインとアベルのいけにえを受け入れる義務はありません。しかし、アベルのいけにえを受け入れてくださったのですから、カインは驚き、そして喜ぶべきでした。神様は、罪人のいけにえを受け入れてくださることを通して、救いの道を自ら開いてくださいました。これが主の恩寵です。

私たちの命は神様が下さったものです。私たちは命をいただいた立場です。私たちに下さった命の尊さを覚え、神様の権威を見上げて神様を賛美すべきです。礼拝は自分を完全に低くして、栄光を神様だけに余すところなく捧げる場です。これが真の礼拝者の姿勢です。

イエス・キリストは神様と私たちとの間に平和をもたらし、私たちの罪を洗い清めてくださいました。もはや私たちが生きているのではなく、キリストが私たちのうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2:20)イエス様の復活を証しする私たちは、この恵みを享受しながら、心には常に神様に対する感謝と賛美だけを携えて進み出る礼拝者となりましょう。