2020.11.08 信じた私たちは安息に入る

聖書本文:へブル人への手紙4章1~13節

説教(講話):
イエス・キリストは、モーセやヨシュアが民に与えることのできなかった安息を私たちに与えます。私たちの奉仕と証しは聖書に記された神の御言葉の力によるものであって、私たちの努力によって成し遂げられる功績はありません。私たちが苦難に耐えて安息に入るのは、私たちが御言葉を悟ったからではなく、イエス・キリストの力によるものです。イエス様はモーセやヨシュアよりも高いお方です。イエス様に従う者には天の御使いたちも仕えていることを、我々は覚えましょう(へブル1:14)。

イエス・キリストの力による安息とは何か。それはイスラエルの民の歴史的な教訓から知ることができます。「きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」(詩篇95:8)

真の安息に辿り着く唯一の方法は、私たちがイエス様の十字架を通して創造主なる神の謙遜な愛を悟って、神様を愛し、神様に従うことです。出エジプト記の核心は、モーセが神様の御前で彼の荒々しさと憤りを治める道です。神様はモーセをミデヤンの荒野で40年間牧羊させ、彼の品性を鍛錬しました。モーセが悪かったのではなく、荒野で不満を漏らし、反逆を企てた民の罪です。その民の罪によって、モーセは約束の地に入ることを次の世代に託すほかありませんでした。

イエス様の贖いを信じ、その贖いに寄り頼む弟子たちは安息に入る、とへブル書の記者は言います。祈祷会で、私たちは神の痛みを知り、悔い改めました。私たちは余りにも日常に埋没し、世俗の力を前に小さくなり、聖霊の力を信じようとしません。

「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」 (1コリント1:18)イエス・キリストだけが、私たちを安息に入らせます。私たちは、イエス様の弟子として荒々しさと憤りを治め、神様の愛を信じて進む民になりましょう。