2020.11.29 苦難と栄光

聖書本文:ローマ人への手紙 8章18~23節

説教(講話):
聖霊によって新しく生まれた者たちは神の子どもであり、キリストとの共同相続人です。そして、相続人は栄光を受けるために苦難も共にしているのです。貴方は苦難を好みますか。それとも栄光を好みますか。後者が良いのは言うまでもありません。では、では、どうすれば栄光を受けることができますか。その栄光は、創造主なる唯一の神様がくださる栄光です。 

希望が見えない苦難の立場を信仰によって通過することで、私たちは希望の段階に移されます。パウロの言う希望はキリストの愛に対する確信であり証言です。ですから、私たち信仰者の栄光は苦難と引き離すことができません。私たちの望みは、「この苦難は栄光を約束された苦難なのだ」という信仰を土台にした望みです。

信仰なき人生で経験する苦労は約束がありません。世の宗教や耳に聞こえのいい教えは、苦しみからの解放や逃避しか教えの核心になりません。もし私たちが「主イエスを信じれば貴方の人生は好転し、喜びに満ちるでしょう」と伝えるとして、実際に貴方の人生は楽になりましたか。真理を信じた途端にあらゆる苦しみが消え去ると教えるなら、キリスト教はモルヒネにしかなりません。聖書はそのように教えません。なぜ信仰から離れるのでしょうか。多くの人は苦難を嫌って信仰から離れるのです。「もう充分です。ここで止めます。」苦難の道を避けて、手っ取り早く栄光を手にする方法や、スピリチュアルな儀式、世の享楽に惹かれて心と身体を汚していきます。

どうして神様は、愛する子に苦難を与えるのでしょうか。 子どもを愛するなら、苦労しないように栄光の場に連れていけば良いのではありませんか。答えは「否!」です。イエス様はそう教えませんでした。子であるなら、苦難も栄光も共に受けるのです。

キリスト教は、報いを待ち望み、求める信仰です。そうかといって、福音は律法のように一対一の性質のものでもありません。律法には「私の行いは必ず報われる」という報いがあるので、信仰者はこの点で曖昧になりました。クリスチャンは「神様の愛は無条件である」と信じます。しかし、クリスチャンの苦難に神様が報いてくださるということほど確実な約束はないということを覚えるべきです。 私たちが地上で栄光を満喫できないとしても、イエス様が復活し、昇天されて神様の右の座に座られたように、私たちも天の御国でその栄光を満喫できるということです。 後に結ばれる実りによって、究極的に私たちの人生の全てが栄光に至るのです。

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ 5:10)。将来に現れるはずの栄光と未来に対する確信が私たちの中にあるなら、現在私たちが経験している苦難の意味をよく解釈することができます。 ヤコブがイサクの祝福を受けた後の人生の現実は荒野でしたが、天を結ぶ梯子の夢を正しく解釈することによって、20年という長きにわたる艱難を耐え忍ぶことができました。

使徒は現実的な側面を正しく説明しました。歴史的に見てクリスチャンは、常に迫害され、追い出される立場でした。

“あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思っていますか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ分裂です。”
ルカの福音書 12章51節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

イエス様は、浅はかで上っ面だけの平和に囚われていた世に来てくださり、災いが臨むかのように、人間的なあらゆる偽りを覆しました。イエス様を信じる私たちはどう捉えるべきでしょうか。これを正しく捉えることができるなら、私たちはイエス様が背負われた十字架の重みを正しく理解し、その道を真っ直ぐに歩むことができるでしょう。

私たちは苦難を通して、イエス様の歩まれた十字架の意味と使命を、その愛の広さと深さを知ることになります。今はぼんやりと一部分しか知りませんが、時が満ち他ときには完全に知ることになるでしょう。(コリント第一13:12)

“もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。”
ヘブル人への手紙 12章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちは余りにも弱く、十字架を目の当たりにすると躓きます。十字架の後にある復活を信じるべきです。十字架なき栄光は無意味であり、復活なき十字架も同様に意味がありません。 

「待ち望み」という言葉の原語(ギリシャ語)は、「apokaradokia (ἀποκαραδοκία, アポカラドキア)」です。 宇宙的な救いを被造物が待ち望んでいるのです。地が呪われたのは人間の堕落の故でした(創世記3:17)。そして偉大な回復の時が訪れるでしょう。ですから私たちの抱く希望は、今どのような困難があるとしても、美しい世界が必ず来るという望みです。 

自分だけが苦しんでいるように思えることはありませんか。しかし、絶望と暗闇の世で、私たちの未来は希望に満ちています。被造物もその世界が来ることを願っています。しかし、今は宇宙全体が呻いている、と使徒は語ります。私たちが神の子とされ、キリストと共に共同相続人とされたのなら、私たちがこの被造物の苦しみの声を聞き、身体の贖いを待ち望みながら、あらゆることにおいて信仰に留まってください。