2020.07.29 いっさいのものの上に立つキリスト

エペソ人への手紙 1章17~23節
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
また、神はいっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つ かしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
聖書 新改訳©2003 新日本聖書刊行会

創造主なる神様は、何としても私たちを祝福しようとされます。神様は私たちを、御子のかたちと同じ姿にするために呼んでくださいました。(ローマ人への手紙8:29)伝道をたくさんさせたり、お金を稼がせたりするために呼んだのではありません。では、全能の神様であるのに、どうして有限で神を信じようともしない私たちのために熱心に働いておられるのでしょうか。

それは神様が私たちに下さった恵みの栄光が褒め称えられるため(エペソ1:6)です。栄光とは何でしょうか。何かの技術が特に優れていて、その功績が称えられることを名誉といいます。しかし、神が求める栄光は、全ての人から受ける心からの敬拝です。

栄光は、力ずくで得ることはできません。強制であったら十字架を背負う必要はありません。復活されたイエス様がピラトやカイザルの前に御姿を現して懲らしめれば良かったでしょう。

心からの敬拝による栄光は、そのお方が最初に私たちを心から愛してこそ受けることができるものです。創造主なる神様は、私たちを愛に対してのみ感動するように造りました。神様が受け取ってくださる栄光は、神の溢れんばかりの愛の中にいることを私たちが喜び、満たされ、感謝するときに捧げる完全に純粋な栄光です。その愛は、イエス・キリストの十字架を通して私たちに完全に表わされました。

私たちが神様に大きな功績を捧げることで神様が喜ぶのでは決してありません。「『だれが私たちのために海のかなたに渡り、それを取って来て、私たちが行えるように聞かせてくれるのか』と言わなくてよい。」(申30:13)自分の栄光を自分の力で得ようとする必要などありません。

神様の愛の中にある一切のものの完全な一致と連合(エペソ1:10)、これこそがキリスト教会のビジョンです。