2020.07.22 友よ、あなたの罪は赦されました

ルカによる福音書 5章 17~26節
ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。
するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。
しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。
彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。
ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」
その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。
『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。
人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。
すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。
人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た」と言った。
聖書 新改訳©2003 新日本聖書刊行会

中風の男性は自分の力で立つことが出来ませんでした。私たち人間は、いつも霊的な戦いを戦っています。活力に溢れ、何でも出来るように思える日もあり、何もする気力がなく、何も上手くいかないように思える日もあります。教会は、喜びも痛みも共有し、一緒に祈り、創造主なる神様の御言葉を通して聖霊の癒しと回復を求める場所です。

中風の男性を助けたいと願う4人(マルコ2:4)の友人がいました。彼らは男性がイエス様に辿り着いて、痛みと絶望から解放されることを願っていました。彼らから学ぶべき隣人愛があります。ある人に問題を見たとき、私たちは、その人を避けたいと思わないでしょうか。皆、自分のことで精いっぱいです。しかし、彼らは男性を放っておかず、彼を寝床ごとイエス様のもとへ運び、屋根まで担ぎ上げ、屋根を破いて、彼をイエス様の前に吊り下ろしました。汗まみれになり汚れることも、周囲の嘲笑や非難を浴びることも、彼らにとっては二の次でした。彼らは中風の男性を愛し、彼の苦しみと痛みを理解し、彼を助けたい一心で行動を起こしたのです。

救いの歴史は、信仰を持つ一人か数人によって継承されます。世俗的な賢い判断基準のみに立っていては見いだせない信仰者の狭き門があります。

イエス様は、彼らの信仰を見て、「あなたの罪は赦されました」と言われました。たとえ彼らに愛があっても、信仰がなければ、群衆の壁を乗り越えてイエス様に辿り着くことはできませんでした。創造主なる神は、力を注ぐために私たちの信仰を待っておられます。私たちが信仰によって神様に手を伸ばす以前から、神様はいつも私たちに手を差し伸べて待っておられます。もう諦めたいと思うとき、私たちが神様に心から願い、神様のみこころがあれば、道は必ず開かれます。

私たちには愛と信仰の両方が必要です。それはコインの両面のようです。信仰だけが強くても、愛が無ければ羊(=信徒、隣人)を牧することはできません。2つが一致するとき、この友人たちは、彼をイエス様のところに連れていくことができると確信し、その通りになりました。

イエス様は癒しの力と罪を赦す権威をお持ちです。私たちにもその癒しと赦しが必要です。イエス様の権威によって、神様は救いと祝福をもたらし、奇跡を起こしてくださいます。中風の男性は罪赦されるために何をしましたか。ただ信じてイエス様を求めただけです。私たちは行いや努力によってではなく、ただ信仰によって罪を赦していただけるのです。今こそ信仰と愛によって立ち上がり、イエス様の愛を大胆に証言する者となりましょう。