2020.07.12 主が罪を認めない人は幸いである

本文 新約聖書 ローマ人への手紙4章1~8節

私たちには他の人から褒められ、認められることを望んでいる姿があります。
それが他の人の前だけでなく、神様の前にも自身の功績を積み上げ、称賛と報酬をいただこうとするときに、私たちの内に高慢な心が生まれます。
このような高慢な姿で生きていると、たとえ毎週の礼拝を守っていたとしても、喜びも恵みも感じることができません。
イエス・キリストの十字架の贖いの姿を見ることができないからです。
私たちが神様に対して自分の行いを誇り、その代価を求めていた高慢な自分の罪の姿を認めて悔い改める時、私たちの内に感謝と喜びが感じられ、溢れるようになります。

アブラハムは行いではなく信仰により、神様に義とされました。
これは今日の私たちに対しても同じく与えられている、神様からの約束です。
神様は私たちの行いではなく、心を見られるお方です。
私たちの罪なる姿を憐れみにより覆われ、ただ信仰により値なしに義とされた神様を覚え、救いの感激、救いの喜びに溢れる人生を歩むものとなりましょう。